恕のたより vol.16
青照館では、月の第2週には、朝から学生自治会の皆さんが、東側の昇降口の所に立って、朝の挨拶運動を行っています。この運動は、もうかなり前から始まっていたそうです。私はこれまで、挨拶運動に携わってきた経験から挨拶は礼儀作法であり、当たり前のこととしてとらえてきました。しかし、セラピストや看護師を目指す皆さんにとっては、色んな意味があることを熊本駅前校・作業療法学科長の有働先生に書いて頂きました。以下、玉稿(一部改)を紹介致します。
挨拶はなぜ必要なのだろうか。
なぜ子供の頃から大人になるまで挨拶は大切といわれるのだろうか?
挨拶とは、禅宗問答に由来し、「自分の心を開き、相手に近づいて、相手の心に迫る」ことである。心を開くことで「私はあなたの敵ではありません」というメッセージを相手に送っているのである。挨拶をされて気持ち良いのは、敵ではないと受けとめるからであり、逆に挨拶を相手が返さないと嫌な気分になるのは相手が自分に敵意を持っていると、こちらが受けとめるからである。心を開くことは、コミュニケーションの入口であり、対人援助職には特に必要なことである。また、この心を開く挨拶は、相手の存在を認めていることでもある。人にはいくつかの欲求があると言われているが、その中の一つに自尊・承認の欲求というのがある。人は、認められると喜びを感じる。
対人援助職で最も大切なのは、信頼関係の構築である。いくら知識・技術を兼ね備えていても対象者から信頼されなければ拒否され、援助は出来ない。この信頼関係の第一歩が挨拶である。しかし、ただ声に出して「おはようございます」「こんにちは」といえば良いものではない。対人援助技術でサラリーをいただく対人援助職には、挨拶も給与の中に含まれているのである。朝から元気良く笑顔で「おはようございます」との挨拶には、私は援助者として準備OKです。ご用件があればいつでも私に声を掛けてください。と宣言しているのである。したがって、目もあわせず、笑顔もなく、小さな声でおはようございますと言っても、それは挨拶にはなっていないことになる。当然仕事をする準備も出来ていないことになる。対象者は、正しい挨拶が出来る人を信頼することで、お互いの信頼関係が構築され、援助がスムーズに行われ、気持ちよく治療に専念できることとなる。また、職場の同僚やお客様に対しても同じような意味において挨拶が大切と言える。さらに、リスクマネジメントの観点からも挨拶が素晴らしいところには不審者が近寄り難いとも言われている。